ときどき思うことがあります。
死んだらおしまい?
生きてるうちが花?
死んで花実が咲くものか??
そうなのかもしれません。
死んじゃったら後のことはわからないし、
死んじゃった人とは会えないし、
言葉も交わせないしね。
でもね、ときどき思うのです。
ほんとに死んだらそれでおしまいですか?
死んで花実は咲きませんか??
死んでから改めて生前の業績を評価された人も何人もいます。
画家のヴィンセント・ヴァン・ゴッホや
数学者のエヴァリスト・ガロアなどが
その代表格でしょうか。
また、例えば
法隆寺を建てた大工たちは
どんな気持ちで材木を削り、
柱を立て、
全体を組み立てていったのでしょう?
恐らくその大工たちは
自分たちが立てている寺が
何年とは具体的に言えなくとも
遥か未来の時代にもその姿を留め
多くの参拝者が訪れることを思い描いていたのではないでしょうか?
死んだらおしまい、という考え方の内には
死んでしまうと、自分ではもう何もできなくなる、
自分の手足が動くうちに何事かを成し遂げなくてはならない、
という思いがあるのでしょう。
なので悔いの残らぬよう、
精進して今を一生懸命に生きなさい。
という教えを含んでいるのでしょうね。
その考え方は素晴らしいと思います。
だけど一方で
どうせ死んだら終わりなんだから
生きているうちに好きなことやって
やりたいように楽しく生きようぜ!
のような、ともすれば刹那的で享楽的な生き方を
よしとするような風潮を生んでいるのではないでしょうか?
それはまた、生きているうちにすべて使い切ってしまう、
旅の恥はかき捨て的な生き方に繋がっていきませんか?
僕は
たとえ生きているうちに評価されなくとも
あるいは死んだのちにも見向きもされないかもしれないけど
何かを作り上げるために懸命に生きるという考えで
生きていく姿勢に感じ入るものがあります。
また、自分が何事かを為す、為さないに限らず
自分が死んでもこの世界は続いていきます。
その世界でこれからも生きていく人たち、
これから生まれてくる人たちのためにも
残し育んでいくということも
いよいよ考えていくべき時かもしれません。
この美しい世界と命が
これからもずっと続いていくように

